昔のプラモデルが懐かしくなるときもある。

雑記

νガンダムのプラモデルがRGシリーズでも発売されるというニュースを見た。
もう何年もプラモデル自体は作っていないが、今どきのプラモって、接着剤を使わなくてもいいし、塗装をしなくても十分かっこいいし、あちこち関節は動くしで、ものすごく恵まれているように思う。
特にガンプラの進化はものすごいと思う。
初期のガンプラなんて、関節はろくに動かなかったし、ジョイント部分は弱くて、遊んでいたらすぐパーツが折れたし、色違いのパーツもなかった。
ポリキャップなんてものもあったが、すぐに穴が広がって部品が外れる有様だった。
プラモを飾るだけの人なら、それで良かったのだろうが、子供だったら、プラモ同士で対決なんて遊びをしていたもので、動かしては壊れていき、残骸となるプラモの姿をたくさん見たものだ。
マクロスのプラモあたりから、透明パーツや関節部分に金属が使われたりされた記憶がある。
ガンプラでいうと、百式のプラモに金色にメッキされた部品を見たときは感動した覚えがある。

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しかしながら、恵まれすぎているのもどうなんだろうと思うときがある。
高いお金を払うのだから、無事綺麗に完成して、動かして遊びたいのは当たり前だが、苦心して作りあげたり、改造したりする楽しみは減ったのではないだろうか。
今のガンプラなら、昔のガンプラを知る者から見ると、初めから完成品を買っているくらいのレベルに見える。
昔は動かない関節を動くようにしようと、改造に取り組んだりしたものだ。
ひどいプラモだと、立たせたらバランスが悪く、前や後ろに倒れるなんてこともよくあった。
それなら……と、パテで重りを作って、脚に埋め込んだりするなど、バランス調整なんかをした。
合わせ目を消すために、サンドペーパーで擦ったりもした。
塗装するときは、細かい顔を塗るのに苦労した。
接着剤はよくはみ出たし、それを削るのにも苦心した。

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もちろん、改造すべてに成功したわけではないし、失敗の方がはるかに多かったが、失敗したプラモの部品は、次に作るプラモの改造用に置いておくなどして、大事にしたものである。
プラモ狂四郎やプラコン大作なんて漫画が人気で、改造の参考にしたものだ。
そういうことから、創意工夫をする楽しみがあったし、刃物を扱う危険性を学んだりした。
なんというか、制限があるからこそ、そこを工夫して突破したいという意欲を持てた気がする。

理論は飛躍するが、初めから何もかも恵まれていると、かえってアイデアって生まれにくいんじゃないかなと思う。
ファミコンゲームなんて、開発もプレイも制約だらけだったが、そこから様々な工夫が生まれ、名作も生まれた。
少しくらいは不自由なところがあってもいいのではないだろうか。
基礎トレーニングもせずに、いきなりスポーツに挑んでも大ケガをしてしまう。
どこか、遊びの余地とでもいうか、制限があってもいいと思う。


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