二次創作・キャプテン翼黄金世代列伝「猛虎日向小次郎」その4

キャプテン翼小説
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「日向さんのやり方は間違っていると思います!」
ハーフタイムに沢田タケシは勇気を振り絞って叫んだという。
それこそ清水の舞台から飛び降りるほどの勇気だったと沢田は述懐している。
しかし、この直言は日向の胸に突き刺さったようだ。
皆の前で東邦学園とのいきさつを語り謝罪した。
自分が正しいと信じることには意地を張るが、相手が正しいと思えば認めるのが日向という人物である。
後半、日向は果敢にペナルティエリア内に飛び込んでいった。
試合には敗れたものの、後半日向は2点を取り、南葛を最後まで苦しめた。
うち1点はDFの脚におびえも見せずに飛び込んだダイビングヘッドによる得点であり、もう1点は岬をフェイントでかわし、若林の手を吹き飛ばしての得点であった。
実力を大いに見せ付けたといえよう。
この試合で日向は人間的成長も遂げていた。
「当時はヘラヘラとサッカーをしている奴が許せなかった。だが、大空翼と出会ったことで、サッカーは面白いものだとわかった。自分はサッカーを不満のはけ口に使っていた弱虫だった」と後に日向は語っている。
再延長まで進んだこの試合は、小学サッカー史上に残る名勝負といわれている。
もし、前半日向がペナルティエリア外からのシュートにこだわらなければ……と誰もが考えるのは無理もない。
蛇足ではあるが、当時の南葛SCが後に日本代表選手を10人以上も選出した奇跡のチームであるに対して、明和FCは日向、沢田、若島津以外には、沢木、堀くらいしかプロ入りした選手もいないという戦力差を考慮しておく必要もあるだろう。
小学生時代、日向小次郎と大空翼は互角であり、ライバルであったと特に記しておく。

卒業後ブラジルに行くはずだった大空翼であるが、結局日本に残ることになり、再び中学校全国大会を舞台にして日向小次郎に立ちはだかった。
中学一、二年と日向は大会得点王に輝くものの、いずれも決勝で南葛中に敗れた。
南葛中は公立中であったが、全国大会優勝メンバーのほとんどが進学しており、戦力的には全国トップクラスであった。
第三学年を迎え、中学卒業後ブラジルへ渡ることを表明していた大空翼に勝つには、もう時間がなかった。
中学に入ってから、かつてライバルと呼ばれた多くの選手が、大空翼の成長についていけていないと評されていた。
日向もまたそのうちのひとりに数えられていた。
日向の“大恩人”吉良耕三はその原因を見抜いていた。
「今のおまえは牙を抜かれた檻の中の虎よ」
吉良はそのような言葉を日向に投げかけたという。
特待生となり、生活も安定しはじめていた日向は、どんなことをしても勝利にこだわるような、かつてのような荒々しい精神を失っていたのだ。
数日後、全国大会前だというのに日向はチームから姿を消し、沖縄で指導者をしていた吉良の元を訪れていた。
荒波に何度も立ち向かうことで日向は再び、爪を研ぎ、牙を取り戻した。
このとき生み出されたのが「タイガーショット」だという(余談ではあるが、日向はこの後、ネオタイガーショットというシュートを編み出しているが、誰もタイガーとネオタイガーとの違いがわからないという。威力が大きい方がネオタイガーと言われているが、境界線がどこなのかは定かではない。ついでにいえば、カール=ハインツ=シュナイダーのファイヤーショットとネオファイヤーショットも同様である)。

当時、東邦学園中等部の監督を務めていたのは、後に浦和レッズの監督も務めた北詰誠である。
厳格で秩序を重んじる彼には、キャプテンでありながら、自己満足のために無断でチームを離れた日向の行動は許されるものではなかった。
チームへ戻った日向は絶望的な宣告を受ける。
「この大会に出場することを許さない」という宣告であった。
それは三年連続得点王の名誉を失い、大空翼に勝つ機会さえ失うということを意味していた。
日向が出場しないことに北詰はノーコメントを貫いたため、温存説や負傷説が唱えられた。
日向の心中たるや想像に難くない。
表面上は冷静さを保ってはいたが、おそらく怒りともどかしさで腸が煮えたぎっていたことであろう。
「あの頃はまるで小学校時代の日向さんのように近寄りがたかった」と、のちに沢田タケシは語っている。
チームは日向を欠いたものの、危機感からか結束が強まったようだ。
準決勝でかつてのチームメイトたちが所属する明和東に先制をされる苦戦も経験したが、若島津、沢田、反町を中心として見事決勝まで勝ち進んだ。
後に日本代表にも選出されているFW反町一樹は、日向の穴を十分に埋めたと高く評価されている。
決勝戦を前に日向はひとつの決断をした。
決闘状という古めかしい作法で北詰を練習場へ呼び出したのであった。
このとき、日向が暴力をふるっていれば、おそらく北詰は日向を決勝戦に出場させなかっただろう。
日向が選択したのは頭を下げることであった。
プライドの塊というべき、あの日向小次郎が北詰の前で土下座をしたのであった。
チームメイトたちは一様に驚いたが、すぐさま一同が日向に倣い、同じく土下座をし、日向の出場を懇願したという。
チームメイトに日向が慕われていた証拠であろう。
もちろん、日向なくして南葛に勝てるわけがないという心理もあっただろうが。
(森崎が著書の中で「きっと若島津あたりが目配せをして、皆に土下座させたに違いない」という解釈を披露しているが、現場を見てもいない彼が語ったところで説得力のない推測である。しかし、東邦ラインは結束が堅く、日向の不名誉になることは一切語らないことで知られているのも事実である。もしかすると暴力的行為があったのかもしれない。反町一樹が後に語ったところによると、当時、日向の出場が認められなければ、決勝戦をボイコットすることがチーム内の共通認識であったという。)
北詰は日向と若島津のPK対決を命じた。
言うまでもなく、いくら相手が天才キーパーである若島津といえども、PKにおいてはキッカー側が圧倒的に有利である。
これは北詰の温情であり、本音であり、迷いであったと考えていいだろう。
日向は沖縄で編み出したタイガーショットを披露し、皆を驚かせた。
手を抜くなと言われていた若島津であったが、あまりに強烈なシュートに反応さえできなかったという。
炸裂する強烈なシュートの前に、北詰の迷いは消えていったようだ。
スタメンが発表され、日向の名は最後に呼ばれた。

その5へと続く

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