二次創作・キャプテン翼黄金世代列伝海外編「パーフェクトキーパー・ジノ=ヘルナンデス」その2

キャプテン翼小説
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失意に終わったジュニアユース時代を終え、ジノはより精進を重ねる。

一般的なイタリア人気質とは違い、生真面目なジノは練習に練習を重ね、ワールドユース大会へと挑んだ。

ワールドユース大会へはユベントスユースで活躍中のスイーパー、ジェンティーレも代表入りを果たしており、イタリアの守備はより堅固になっているはずだった。

当時、イタリアでプロ入りを目指していた日本ユース代表選手葵新伍とは、同じインテルの下部組織に所属しており親交があった。

また、ジェンティーレと葵はライバル関係にあり(ジェンティーレ側は認めていなかったというが)、両者ともに対戦を楽しみにしていたという。

奇しくもジュニアユース時代と同じく、予選リーグで顔を合わせた両者であったが、対戦したとき、ジノのコンディションは最悪であった。

当時のユース世代はビッグシューターの時代だった。
シュナイダー、サンターナ、レヴィン、そして日向……彼らのシュートは相手GKを吹き飛ばすほどの威力であったという。

ジノがジュニアユース世代に1年間ノーゴールを達成したように、体格差の出やすい成長期にはこのような現象が時折起こる。

ジノの腕を傷つけたのは火野竜馬という日系ウルグアイ人のストライカーであった。

身体を回転させた勢いを利用して放つというトルネードショットは、伝説によるとコンクリートの壁にめり込んだとも言われ、まだ体格が固まらず、線の細いジノにとって、鬼門のシュートだった。

結果、ジェンティーレもジノもこのシュートの前に身体を痛め、日本と対戦する際にはスタメン出場もできなかった。

途中からケガをおして出場したものの、ベストパフォーマンスなど見せられるわけもなく、平凡な葵のシュートさえ取れなかった。

葵になじられたのが悔しかったとジェンティーレは後に語っている。

この頃から、この世代のイタリア代表は弱いという評判が立ち、母国では議会で強化策が取り上げられるほどであったという。

しかし、イタリアが弱いというより、他国が強すぎたのだろう。

「時代が違えば……」とは大空翼と同世代に生まれたサッカー選手たちのすべてが思うことである。

ちなみに同大会では、ミューラーもレヴィンのシュートの前に腕を破壊されており、またしてもヨーロッパナンバー1キーパーの座は確定しなかった。

「パーフェクトキーパーと呼ばれた頃が懐かしい……」

この頃、そんな愚痴を飛ばしたジノの姿をイタリアの某選手は忘れられないという。

時は流れ、ジノのトップチーム入りが決定した。

下部組織からインテルのトップチームへ昇格したのは、ジノひとりだった。

同じ頃、葵新伍はセリエC1のチームに入っている。

日向はユベントスから華々しくデビューしたものの結果が残せず、同じくセリエC1のチームへレンタル移籍していた。

ちなみに同世代の選手の動向を伝えると、大空翼はスペインリーグ、シュナイダー、若林、ミューラーはブンデスリーグ、ディアスはアルゼンチンリーグなどでそれぞれ活躍している。

三杉や岬、松山はまだJリーグに所属していた。

活躍が期待されたジノであったが、当時インテルには世界最高峰のGKであったブツオンがおり、彼から吸収するものは多かったものの、出場機会にはなかなか恵まれなかった。

GKは経験が必要とされるポジションだけに、若いジノに監督もゴールを任せようとはせず、歯噛みする日々が続いた。

そんな中起こったのが、ユベントスの八百長疑惑だった。

ユベントス幹部が絡んでいたとされるこの事件で、名門ユベントスはセリエBに降格させられ、多くの選手が他チームへ流れた。

移籍で正GKを失ったユベントスは安価かつ才能のある若手GKを求めた。

白羽の矢が立ったのはジノだった。

因縁のある日向がチームに戻され、かつて苦難をともにしたジェンティーレが在籍しているユベントス。

出場機会を求めていたジノは、セリエBではあったものの、すぐに移籍を了承した。

何より、このメンバーならすぐに昇格できるだろうと考えたのである。

読みは当たった。

セリエBを圧倒的な強さでユベントスは勝ち進み、ついにセリエAへと返り咲いたのである。

その間、日向は得点王となり、ジノも多くの賞に輝いた。

後にはドイツから優秀なゲームメーカー、フランツ=シェスターも獲得し、セリエA優勝も成し遂げた。

代表としてはブツオンの陰に隠れてはいたが、時折ゴールを守った際にはファインセーブを見せ、才能を示していた。

残念ながら、欧州最優秀選手やワールドカップ優勝には縁がなかったが、セリエAの最優秀GK賞を初めとする多くの栄冠に輝いた。

さすがに1年間無失点とはいかなかったが、ブツオンの引退後はイタリア代表の正GKとなり、代表での無失点世界記録も樹立した(若林があとわずかというところで更新しかけたが、翼の逆走ドリブルという奇行により逃したのは有名である)。

このことから、ミューラーではなく、ジノがやはり黄金世代のヨーロッパナンバー1キーパーだという評が現在では大勢を占めている(では、世界一は誰かといえば、若林源三らの名があがる)。

ただ、本人は「DF陣のおかげ」「ボクはただ目前の試合のゴールを守り続けるだけ」と意に介していない様子である(ただし、「ジノはかなりミューラーのことを気にしている様子だった」という葵新伍の証言もある)。

私生活では、カール=ハインツ=シュナイダーの妹マリーと結婚し、幸せな日々を送っている。

ジュニアユース大会の開催前、あわや交通事故という場面をジノが救ったことがきっかけだという。

「ジノの生涯最高の好セーブは、シュナイダーの妹を救ったことさ」とは、サルバトーレ=ジェンティーレの言葉である。

一男一女をもうけ、「息子はGKではなく、ストライカーに育てるんだ」と親バカぶりを見せている(自分がストライカー不在に苦しんだからという意地悪な見方もある。本人も否定していない)。

葵や日向との関係もあり、親日家であり、何度も日本へ来日し、日本の黄金世代選手とも親交を深めている。

パスタと同じく麺類のラーメンが好物という。

きさくで温厚な性格から各国の選手とも親交が深い。
特に義兄シュナイダーやシェスターを介してのドイツ人脈は厚い。

ライバル、ミューラーとも親交があり、技術的にアドバイスをし合う仲だという。

引退後はイタリア代表のGKコーチを務め、「代表監督へ」との声も上がり始めている。

本人は「柄ではない」と言いながらも、今後の活躍が待たれるところである。

文責:片桐 宗政(元Jリーグチェアマン)

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