大空翼がアキレス腱断裂という大ケガを負ったことは、世界中に大きなニュースとして広まった。
翼を神と仰ぐ信者たちは、ブンナークに殺害予告さえしたという(注:ブンナークは反則を犯したわけではない)。
しかし、日本での論調は「自業自得だ」というものが多かった。
まだブラジルに帰化し、ワールドカップ決勝の舞台で日本代表を倒した悪役イメージが強かったからである。
翼自身にこのような声が届いていたかは定かではない。
妻の早苗によると、翼は機械操作に疎く、インターネットを利用してニュースを見るような人間ではなかったということだ。
翼自身がいうには、ケガを治すことを第一に考えていて、他のことは頭になかったという。
元より、相手が強ければ強いほど燃えると言われた選手であり、ケガという最強の敵と戦うことに燃えていたという。
しかし、今回の敵は手強かった。
世界中のエースキラーたちと戦い続けてきた翼の身体は想像以上にボロボロになっており、アキレス腱以外にも、あちこちにケガの芽があり、アキレス腱をかばう動きをすると、そちらが痛むという有様だった。
いら立ちを隠せず、妻や子に八つ当たりすることもあったという。
サッカーから引退し、神父として活動していた「天使」と呼ばれたプレイヤー、ミカエルはこの頃、翼の訪問を受けて、懺悔の声を聞いていたという。
また、この頃、翼が「石崎くんらとボールを追いかけていた頃を思い出した」という主旨の発言をしたらしいが、これが一部曲解され「石崎のようなヘタクソの気持ちがわかったよ」と発言したと伝わったため、インターネットの掲示板サイトでは翼批判のコメントが殺到したという。
しかし、翼が機械オンチであったのが事実であれば、それを見ていない可能性は高く、幸いであったと言える。
サッカーの神、翼が再びピッチに立ったのは、6ヵ月後のことだった。
15分限定のプレイだったが、あまりにも残念な内容に観客たちは失望を隠せなかった。
スピードもパワーもキレもなく、簡単にボールをロストし、相手のチェックで簡単に転倒する姿は、もはや「サッカー神」と呼ばれる者の姿ではなかった。
この姿があまりにも惨めであったためか、さらなるリハビリに翼は挑んだ。
その姿は求道者のようであったと、練習相手も務めた神父ミカエルは答えている。
一方、妻の早苗は別の見方をしていた。
ロベルトに刺激を受けて、ドライブシュートやオーバーヘッドキックに挑んでいた頃の翼を思い出したという。
サッカーがうまくなることが楽しくて仕方がなかった頃の翼の姿だった。
「サッカー神」などではなく、「永遠のサッカー小僧」と呼ばれた頃の翼の姿だった。
無惨な試合から3カ月後、再びリーガエスパニョーラの舞台で、30分限定ではあったものの、翼は出場を果たした。
どれだけの努力がなされたのだろうか。
このときの翼は輝きを取り戻していた。
スピードこそ全盛期のものではなく、運動量も減ってはいたが、要所で見せるプレイはファンを満足させるのに十分だった。
試合終了直前に放たれたオーバーヘッドキックは決勝点となった。
そして、これが翼の現役生活最後のゴールとなった。
「あのシュートが決まらなければ、現役生活を続けていたかもしれないけれど、綺麗に決まったからね……」
翼は後にそう語っている。
実は試合中、膝に痛みを感じており、負傷交代寸前だったという。
一カ月後、翼は引退を正式に発表した。
FCバルセロナからは功労者に対する引退セレモニーが行われ、バルセロナ市からは名誉市民の称号が贈られた。
派手な市内でのパレードも行われた。
騒ぎはなかなか収束せず、翼は喧騒を避けるため、家族と家庭教師を引き連れ、しばらく世界一周の旅を続けた。
各国の黄金世代プレイヤーたちに息子ふたりを紹介し、技術的なアドバイスなどをしてもらったという。
シュナイダーやディアスが訪問を受けた旨を語っている。
ただし、事実関係は不明だが、日本人プレイヤーは誰も訪問を受けていないという。
日本代表がワールドカップ出場を逃し、翼の時代を思い出すようになった頃、石崎了の提案により特別な引退試合が行われ、日本における翼の名誉が回復されたのは、別稿に書いたとおりである。
その後、翼は古巣サンパウロFCの監督やバルセロナのコーチに就任したものの、天才である彼の指導に誰もついて行けず、わずかな年数で職を辞したのも別稿の通りである。
今はブラジルサッカー協会会長であるロベルト本郷の片腕として、世界中を飛び回っている。
誰も指導についていけなかったと書いたが、3人だけ例外がいる。
それは翼の弟である大地と、翼の息子、疾風(はやて)と大舞(だいぶ)の3人である。
「サッカー神」の遺伝子を持つ彼らは、翼の超人的なサッカーセンスを受け継いでおり、これからのサッカー界を担う逸材とみなされている。
ただし、日本代表としてプレイするのか、ブラジル代表としてプレイするのかは定かではない。
文責:片桐宗政
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