二次創作・キャプテン翼黄金世代エピソード「サッカー神・大空翼の苦悩」その1

キャプテン翼小説
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<ご注意>
この話は私が勝手に考えたキャプテン翼世界のオリジナルストーリーが元になっています。
実際のキャプテン翼にこのようなエピソードはありませんのでお間違えのないようお願いします。
面白いと思われた方は、過去に私が書いたオリジナルストーリーが当ブログ内の「キャプテン翼小説」カテゴリーにあるので読んでみてください。
シェアなどしていただけるとうれしいです。

史上最高のサッカー選手、大空翼。
日本初のワールドカップ優勝、オリンピック優勝、ワールドユース優勝にキャプテンとして貢献。
所属するクラブ、FCバルセロナにおいては、日本人初の欧州CL優勝、クラブワールドカップ優勝を実現。
リーガ優勝や国王杯優勝などは、毎年、当たり前のように成し遂げている。
ワールドカップを初め、あらゆる大会でMVPを受賞。
ワールドカップにおいては日本代表とブラジル代表でそれぞれMVPを受賞している。
バロンドールにも7回選出されている(翼の連続受賞が続いたため、7回獲得した選手は殿堂入りする形となった)。
長く、「ペレかマラドーナか?」「いや、クライフだ」「ベッケンバウアーだ」「プスカシュだ」というような史上最高選手論争が続いていたが、その議論をすべて終わらせたのが大空翼だった。

当の大空翼自身はどう考えていたのか……
サッカー選手としての晩年、彼は退屈を感じていたと正直に話してくれた。
あらゆる栄光に輝き、目標を失っていたこともあるが、一番の理由は、誰も彼について来れなくなったからである。
黄金コンビの盟友、岬太郎でさえ、ある時期からの翼のプレイにはついていけなかったと語っている。
ブラジル代表時代、翼と黄金コンビを組んだナトゥレーザでさえも、無理だったと語っている(事実、彼とカルロス・サンターナは翼のプレイについていくことで疲弊したのか、サッカー選手としての寿命は長くなかった)。
天才のひらめきが出すパスに反応できる者はいなかった。
彼のひらめきによる戦法を理解できるものもいなかった。
(これらにより、翼は日本代表から外され、後にブラジルへ帰化し、そちらでワールドカップ優勝を成し遂げるわけだが、本稿では長くなるため触れない。)

ついていけなかったのは味方だけではない。
史上最高の選手である彼のドリブルを止められる選手は、もはやこの世に存在しなかった。
自陣ゴール付近からシュートを撃っても決まることがあり、時には相手全員をドリブルでかわして点を取ったこともあった。
これでは退屈を感じても仕方がなかった。
刺激を求めた翼は、トップ下だけでなく、FWやDF、さらにはGKにまで挑戦したが、このサッカーの天才は、それらをすべて易々とこなしてしまった。
先述した11人抜きはGKとしてプレイした際、相手のシュートを軽くキャッチしたあと、戯れにドリブルを始めたら誰も止められなかったものである。
初め、相手チームのサポーターは、翼がGKとして出場したことを侮辱と受け止め、ブーイングを再三行ったが、ドリブルで全員かわされる姿を見て、黙り込んでしまうほどだった。

しかし、このような選手の存在は、試合をつまらなくさせる要因となった。
FCバルセロナとしても、観客動員数が減少することに頭を抱えていた。
複数のクラブチームに移籍を打診したと言われているが、200億を超える移籍金を払えるチームはどこにもなく、また大空翼という大きな存在を受け止めることできるチームも監督も存在しなかった。
「皇帝」シュナイダー、「将軍」ピエール、「神の子」サンターナ、「サッカー王」ナトゥレーザなど、名選手たちにはふさわしい称号が与えられたが、翼に与えられたのは「サッカー神」という称号だった。
かつて彼は「サッカーの申し子」と呼ばれたが、後に「神」となったのである。
事実、彼は神に愛されていた。
幼い頃、トラックにはねられた際にも、サッカーボールがクッション代わりとなり無傷であったという伝説がある。

そのサッカーの神も悩んでいた。
あまりにも簡単にゴールが奪え、あまりにも簡単に相手がかわせる……初めは爽快だったが、当たり前となると面白くなくなる。
かつての黄金世代のライバルたちも衰える者やケガで引退する者が増えていた。
三杉淳やエル・シド・ピエールとゲームの支配権を争うことはもはやかなわず、ファン・ディアスと個人技対決をすることも、ジノ・ヘルナンデスやデューター・ミューラー、そして、若林源三からゴールを奪う刺激を味わうことも、もはや不可能だった。
後輩である新田瞬や沢田タケシも世界的な名選手となったが、翼の領域には及ばなかった。
たまに新鋭が現れ、曲芸的な技を見せて、刺激を感じることもあったが、所詮は曲芸……あらゆるサッカーの技をコピーできる翼には、自分のものにすることが容易だった。
そもそも、彼らの曲芸など、かつて翼が戦った黄金世代の選手たちの技とは、スピードもキレも比べものにならなかった。

あれほど大好きだったサッカーがまさか面白くなくなる日が来るとは……
四六時中サッカーのことだけを考え、どうすればもっとうまくなるのかと思い、練習していたという翼であるのに、今やそれさえ億劫となっていた。
サッカー一筋で生きてきた彼には、いざ、サッカーから離れてみると、他に何の趣味も生きがいもなかった。
その事実に気づいたとき、愕然としたという。
「あんなに元気のない主人を見たのは、小学生時代、三杉くん相手に戦意を喪失したとき以来だと思う」
妻の早苗は当時を振り返って、そう答えた。
「ブラジルに帰化したときも随分叩かれたけど、そのときはむしろ対抗心を燃やしているように見えました。けれども、あの時は……」
アトレチコマドリード戦に向かう覇気のない翼の背中を見て、早苗は不吉な予感がしたという。

不吉な予感は当たる。
この試合、アトレチコマドリードには元タイ代表DFブンナークがスタメン出場していた。
かつて翼と同時期にリーガエスパニョーラに移籍したが、なかなか結果を残せず、英プレミアリーグや伊セリエAのチームを渡り歩き、再び古巣アトレチコへ戻ってきた苦労人だった。
翼とはワールドユース大会のアジア予選にて対戦経験があった。
元ムエタイチャンピオンという異色の経歴から来る荒っぽいプレイに、当時、翼は苦戦した。
そのブンナークが翼のマークに着いた。
翼も「今日は少しは楽しめるかな」と、思ったという。
しかし、ブンナークに全盛期のスピードとパワーはなく、翼はブンナークを軽くあしらい、2ゴールを決めていた。
「期待はずれだったか……」と思った矢先のことだった。
後半30分すぎ、さすがに翼も疲れが見え始めていた。
ここしばらく、あまり真面目に基礎練習を行っていなかったことから来る疲れだった。
当時のFCバルセロナ監督ラドゥンガも翼の運動量が落ち始めたことに気づいており、交代選手を用意していたという。
「交代か……」と翼が思い始めたとき、足下にボールが来た。
反射的に飛びつく翼。
しかし、それはブンナークも同じだった。
ブンナークからのショルダーチャージ。
いつもの翼なら軽くかわしていたかもしれないが、このときは違った。
疲れていたふたりの脚がもつれるような形になった。
何かが千切れる音が聞こえたと、後にブンナークは語っている。
サッカーの神、大空翼のアキレス腱が断裂した音だった。

その2へと続く

二次創作・キャプテン翼黄金世代エピソード「サッカー神・大空翼の苦悩」その2
大怪我を負った大空翼。 サッカー神とも呼ばれ、世界中のサッカー選手の憧れだった彼は、もう一度フィールドに立つため努力します。 その結果は……?

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