二次創作・キャプテン翼黄金世代列伝「猛虎日向小次郎」その6

キャプテン翼小説
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明けて高校時代、日向は岬太郎率いる南葛を三年連続で破り、翼のいない日本では無敵であることを証明していた(岬が当時スランプだったという事情もあるが)。
舞台は再び世界へ――黄金世代は再び世界の強豪たちと相見えることになる。
親善試合におけるオランダユースとの戦いで再び世界の壁を知った彼らは、Jリーグからの入団要請も一時的に保留し、ワールドユース大会での優勝を目指した。
当時の日本ユース代表監督、賀茂港は日本主力陣に一層の奮起を求めた。
リアルジャパン7というチームを編成し、彼らに敗北感を与えることで、それまで増長しがちだった少年たちを戒めたのである。
日向は代表合宿から離れ、再び沖縄の地で、これまで以上の強力なシュートを編み出すことに励んだ。
また、弱点だったポストプレイなどにも取り組んでいたという。
後に日向夫人となる赤嶺真紀と出会ったのはこの頃だと言われているが、彼女の協力もあって、日向はこれまで以上に強力なシュートを編み出すことに成功した。
「雷獣シュート」と名づけられたシュートは恐るべき破壊力で各国の守備陣を恐怖に陥れた。
このシュートはソフトボールの選手であった赤嶺真紀が、反動をつけてボールを投げていることからヒントを得たという。
とはいえ、雷獣シュートが旋風を巻き起こしたのは、アジア予選までの話であった。
強力ではあるが脚に負担がかかり、なおかつモーションの大きい雷獣シュートは世界最高レベルを相手にしては容易に撃たせてもらえなかった。
実際、日向は本大会決勝トーナメントに入ってからのスウェーデン戦、オランダ戦、そして決勝のブラジル戦と1点も取れていない。
しかも、雷獣シュートを大空翼が別ルートからマスターしていたのは、口には出さなかったが日向には大きなショックであったという。
ましてや、決勝戦では岬が翼と雷獣ツインシュートを放っている(いわゆる神の足ゴール)。
日向は自分の存在価値について、改めて考えなおしたという(余談ではあるが、松山光も同じような経験があり、後に翼に対して恨み言のような発言をしている。しかし、松山は自分で編み出した技に強い執着心を持つタイプだという証言もある)。

ワールドユース本大会においても苦戦が続いたが、日本黄金世代は優勝を成し遂げた。
日向はそのあとしばらく日本に滞在するが、この間、各種プロモーション戦略などによって、サッカーファンの垣根を越えて注目を浴びる。
結果、念願のマイホームを手に入れることにも成功するわけであるが、日向は当時のことを語るとき、「ろくに活躍もしていない選手が、サッカー以外のところばかりで注目されて、恥ずかしいかぎりだった」と照れ笑いを浮かべることが多いという。
プロモーション戦略が当たったわけではないだろうが、しばらくして、日向に欧州からのオファーが舞い込んだ。
しかも相手はセリエAの名門ユベントスであった。
世界一のストライカーを目指す彼にとって、大きなチャンスの到来であった。
セリエAにおいてダブルスクデッド(20回以上の優勝)を誇るユベントスには、当時デレピやゼダンといった世界的な選手が所属していた。
日向のシュートはこの世界的名手たちの中でも通用した。
「どうせジャパンマネー狙いのオファーさ」という程度にしか考えていなかった彼らも、右脚から放たれる強烈なシュートには驚いたという。
対パルマとのセリエAのシーズン開幕戦にてデビューという、最高の待遇が日向に与えられた。
しかし、日向はこの試合、1点も取れていない。
相手のフランス代表DFトラムに徹底マークされた日向は、数回良いシュートを放ったものの、老獪なディフェンス術の前に通用しなかった。
後半には交代を告げられ、涙ながらにピッチを去っている。
それでも、初戦にしては健闘といっていい内容だったと評価されている。
日向が交代したあとに入ったトレサガの得点により、この試合はユベントスが勝利しているが、得点の契機となったのは、日向との攻防でトラムが負傷していたからだといわれている。
日向は当時、相当落ち込んでいたと言われているが、まわりは悲観していなかったようだ。
吉良耕三も「小次郎は少し挫折した方が燃えるタイプだ」と的確に弟子のことを評価している。
日向にはしばらくして、セリエCレッジアーナへのレンタル移籍が告げられた。
当時の監督モネッティの判断であったという。
日向の素質を認めながらも、まだまだ荒削りでこのままでは通用しないと考えた彼は、日向に対して試合経験を積むことを進めたのである(一説によると、高額で移籍してきた選手を移籍させることに関して、ユベントス経営陣は難色を示していたという。当時の経営陣は戦力にならなくても消化試合にでも使えば、ジャパンマネーが転がり込んでくるという考えであったともいう。日向を金脈としてしか考えていなかった経営陣は後に大きなスキャンダルを起こすが、これについては後述する)。
セリエBとの練習試合で6得点を奪ったこともある日向には、セリエCの舞台は小さすぎたようだ。
セリエCとはいえ、日向は日本人初の得点王へと輝く。
特にFCアルベーゼに所属していた葵新伍との日本人対決は、下部リーグでありながらも注目を集めた。

セリエCでのシーズンを終え、チームの昇格を決めた日向は、ユベントスへ戻ることとなったが、直後、日向だけでなく、イタリアサッカー界を震撼させる事実が発覚する。
ユベントスの八百長関与事件であった。
完全な解明は今もされていないが、ユベントス経営陣による他チーム主力選手への買収と、マフィアの関与が推測されている。
ユベントスに与えられた罰則は、セリエA優勝の取り消しとセリエBへの陥落、さらには勝ち点マイナス15からのスタートであった。
今までセリエAから一度も陥落したことがなく、優勝20回以上を誇る名門ユベントスの歴史上最大の汚点といってもよい事件だった。

その7へと続く

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