二次創作・キャプテン翼黄金世代エピソード「翼の逆走ドリブル」

キャプテン翼小説
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<ご注意>
この話は私が勝手に考えたキャプテン翼世界のオリジナルストーリーが元になっています。
実際のキャプテン翼にこのようなエピソードはありませんのでお間違えのないようお願いします。
面白いと思われた方は、過去に私が書いたオリジナルストーリーが当ブログ内の「キャプテン翼小説」カテゴリにあるので読んでみてください。
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誰もが目を疑う光景だった。
20××年○月×日に行われた日本対フランスの親善試合、後半40分頃のことである。
突如、日本代表キャプテン“天才”大空翼が、センターサークルから自軍ゴール側へ向けてドリブルを始めたのである。
その距離、およそ25m。
なおも止まる気配はなかったという。
親善試合といっても、国際Aマッチとして認可された試合であり、1ヵ月後に控えるアジア杯に向けて最終調整の意味がある試合であった。
強豪フランス相手に日向のシュートで1点を奪い、リードした展開で迎えた後半終了間際であり、あとは時間稼ぎでもして逃げ切ればよい時間帯であった。
監督や代表選手らも、気を抜いてはいなかっただろうが、最終調整の試合としては成功だと考えていた矢先のことであった。
このとき、日本のゴールマウスを守っていた若林源三は、DF陣に得意の「とりかご」を指示したという。
簡単に言えば、安全にボール回しをし、時間稼ぎをする戦法である。
賛否両論あるが、どこの国でも行われている妥当な戦法であった。
翼の突然のドリブルはそのパスを奪ってのものであった。

「サッカーは楽しむものという信念を持つ大空翼だけに、この戦法が気に入らなかったのだ」と翼信者は主張する。
「観客を楽しませようとサービスしたのだ」という説もある。
真相はともかく、そのあとに訪れたのは悲劇であった。
“天才”翼の突然のご乱心に、次藤、早田のDFふたりは狼狽した。
誰も彼らを責めることはできないだろう。
天才の考えることなど、ほぼすべての人間に理解できるものではない。
彼ら自身も優秀なDFであることは間違いないが、誰もが“天才“大空翼の前では凡庸な人間となってしまう。
「止めなければ!」
あとでこのときのことを聞かれた二人は、とにかく頭が真っ白になってしまい、そうするしかなかったと答えている。
天才のドリブルを凡庸な人間が止めるのは並大抵のことではなかった。
一瞬で抜かれそうになった二人はラフプレイにて翼を止めた。
おそらく相手FWに対して行っていれば、一発でレッドカードをもらったであろうという危険なプレイだった(元々、二人は比較的荒々しいスタイルのDFではあるが、あまりに危険なプレイであったため、翼に悪意を持つ評論家などは、二人が翼に対する日頃の鬱憤を晴らそうとしたのだと邪推している)。
審判も迷ったという。
味方から反則で止められる選手など見たことがなかったからだ。
それでも、審判が非紳士的なプレイと判断して笛を吹こうとしたときには、すでにこぼれダマを拾ったフランスのエースストライカー、ルイ=ナポレオンが、唖然とする若林源三からシュートを決めたあとだった。
さすがの若林も混乱した上に、1対1になっては強烈なシュートを防ぐ術はなかった。
味方DFが二人も、よりによって味方MFに引き寄せられ、スペースを作られてしまっては、責めるわけにはいかないだろう。

審判が吹く笛は、ゴールを決める笛となってしまった。
若林源三はそれまで代表における連続無失点記録を継続中だった。
あと3分ほどでジノ=ヘルナンデスの持つ当時の世界記録を破るところであった。
あとわずかな時間「とりかご」を続けてこの試合に勝てば、彼は栄誉に包まれるはずであった。
試合前には「この試合に勝って記録更新するぞ」と皆に声をかけていたという。
「試合後のスピーチ内容をすでに考えている様子だった。それが無言のプレッシャーになっていた」という某修哲小系選手の証言もある。
連続無失点記録は、ペナルティエリアの外からシュートは決めさせないということと並ぶ、彼の大きなこだわりであった。
それが、突然の翼の乱心によって、すべて水泡に帰してしまった。
自暴自棄になった若林は、そのあと敵陣にまで切り込んでシュートを放つが、フランス主将エルシド=ピエールの好守に阻まれ、さらにカウンターからルイ=ナポレオンに決勝点となるシュートを決められている。
しかも、無人だったとはいえ、ペナルティエリア外からのシュートであった。
若林の心境たるや、想像するだけで恐ろしい。
怒りで血が上り、プライドもズタズタに引き裂かれたことだろう。
ちなみに翼はというと、先ほどのラフプレイによってピッチ外に出されていたが、すぐに病院へ行くようにと判断されたため、この悲劇を目撃していない。
結果、1対2で敗れたこの試合は、大きくマスコミで取り上げられた。

連戦連勝中の黄金世代にとって、久々の負け試合であった。
しかも、翼、岬、若林、三杉らが勢ぞろいしての敗北である。
「負けたときのほうがニュースになった」と言われたほど、最強を誇ったチームが敗れたのだ。
『“天才”翼、突然のご乱心!?』
『若林激怒! 試合後に翼と大喧嘩!?』
『翼、相手の11人では物足りず、21人を敵に回す!』
当時のスポーツ紙にはそのような見出しが躍った。
実際のところ、翼はすぐに病院へ運ばれたため、大喧嘩はなかったとされている。
また、すぐに次のリーグ戦があるからとスペインへ向かったため、突然の逆走ドリブルについて誰も真意を知ることが出来ていない。
翼はこの件については今に至っても明言していない。
また、若林についても、試合後のミーティングにも参加せず、無言でロッカーを去っていた。
彼もまた無言でドイツへ向かったことから、さまざまな憶測を呼ぶことになった。
このとき以来、小学校時代からの盟友と呼ばれた二人は、口をきくことがなくなったという。
日本をワールドカップで優勝させようと誓い合い、実際それを果たした日本のヒーロー二人にしては悲しい結末であった。
このあとのアジア杯には二人とも出場しなかった。
翼はケガのため(といってもリーグ戦には出場していたが)出場を辞退し、若林はクラブチームとの契約を理由に(こちらも大会前までは何も言っていなかったようだが)出場しなかった。
二人を欠いた日本代表は決勝で車仁天率いる韓国に敗れてしまい、アジア杯優勝を逃した。
結果、この敗北が代表からの翼排除、三杉淳の復活、新ゴールデンコンビ結成へつながっていくのだから皮肉なものである。
このシーズンにおける若林のリーグ成績は惨憺たるものであり、一時期はベンチからも外れるほどであった。
対称的に、翼は何事もなかったかのようにスペインにて、リーグ優勝を決めている。

二人の仲を取り戻そうと、岬太郎、見上辰夫、日向小次郎らが仲裁に入ったという証言もあるが、すべてが失敗に終わったようだ。
代表から排除された翼は新天地をブラジルに求めるが、この若林との決別が一因となっているのは間違いない。
ブラジルにアンフェアな手段で帰化した翼に、PK戦で決着が着いたとはいえ、後にワールドカップ決勝戦で敗れた若林は悔しかったことだろう。
元々、翼の逆走には前例があった。
ワールドジュニアユースフランス大会の決勝、対西ドイツ戦において、翼は突然の逆走を始めている。
そのときは自軍ゴール前まで切り込まなかったため、何事もなかったかのように扱われているが、このときの再現を狙ったのではないかという説も根強い。
また、当時のスポーツ紙で推測されているように、翼が21人抜きを考えたという説も根強い。
珍説としては、翼が若林からペナルティエリア外からゴールを奪おうとしたのではないかという説もある。
また、翼がゴール方向を間違えたのではないかという説さえもある。
いずれも確たる証拠はないが、「翼ならやりかねない」と思わせることが賞賛に値しよう。
「当時の翼さんは薬物でもしているかと思ったよ」と葵新伍が証言するほど、当時の翼のプレイは誰もついていけないものだったのだ。
いまや「サッカー界の本能寺の変」と呼ばれるほど、このときのプレイについては、スポーツジャーナリストから他分野のライター、在野の一市民までが、個々人の推測を交え、珍説・奇説も含めて自説を展開している。
これも翼伝説の一端と言えよう。

最後に私の説を披露して、この原稿を締めくくりたい。
私は「翼は何も考えていなかった」と解釈している。
“天才”大空翼だけに、体が反応するがままプレイをしたのではないだろうか。
現代サッカーは知的なスポーツである。
戦略・戦術を理解して、求められた行動をこなすのが基本だ。
ましてや、ゲームメーカーならなおさらだろう。
しかし、大空翼はそのような次元を超えたプレイヤーなのだ。
小賢しい戦術など理解しなくても、天性のカンと才能で、時にはひとりで11人を抜き去って相手を打ち破れるプレイヤーなのである。
その天才が体の赴くままにプレイしたことについて、あれこれと推測することのほうが野暮なのである。
私としては、あの逆走ドリブルの先を見たかったと今でも思っている。

文責:片桐宗政(元Jリーグチェアマン)

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