キャプテン翼、吉良監督の年齢を推測してみました。結論は……

キャプテン翼ライジングサン
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キャプテン翼の登場人物、吉良監督。
一升瓶片手に試合前でも酒を飲んでいるアル中のおっさんですが、指導力の優れた人物でもあります。
この人物が何歳なのか気になったので、推測してみました。
先日、Twitterで少しネタにしたものをまとめた内容です。

吉良監督とは?

フルネームは吉良耕三。
日向小次郎、若島津健、沢田タケシの師匠として知られています。
彼らが小学6年時(タケシは4年)、明和FCを率いて、翼や若林のいる南葛SCと戦いました。
このとき、東邦学園のスカウトたちが「20年前、海外チームから誘われたが断ったという幻の日本人プロ第一号」と吉良監督のことを語っています。
明和FCのあとはサッカー不毛の地と言われた沖縄でサッカースクールを開き、現在はU-23日本代表監督(オリンピック代表監督)を務めています。
そのことから、指導者として、一通りのライセンスは持っているかと思われます。
いつもくたびれた服を着て、無精髭も生やしていますが、さすがにオリンピック編ではスーツを着ています。
最新アニメでは、コンプライアンスに引っかかったのか、酒好きからお茶好きに設定を変えられているそうです。
「明和特攻スライディング部隊」というような子供が喜びそうなネーミングをつけるなど、人身掌握にも長けている節があります。

吉良監督の謎

オリンピック代表を率いるほどの人物ですから、サッカー界では大物と言っていい立場だと思われますが、現役時代のポジションさえわかっていません。
教え子のポジションもバラバラです。
小柄なので、キーパーやセンターバックではないと推測しますが、決定的な証拠はありません。
攻撃が好きな監督なので、FWか攻撃的MFだったのではないかと、個人的には推測しています。
小柄なので、すばしっこい選手だったのかも。
なお、スカウトした海外チームがどこなのかも不明です。
妻子がいるのかも不明です。

最近作られた設定

漫画のオリンピック編にて、メキシコオリンピックで日本代表が銅メダルを取った際、補欠であったことがわかりました。
メキシコオリンピックといえば、現実世界では1968年のことです。
作品中でも1968年のこととされています。
海外チームからオファーが来るほどの選手が補欠というのも変ですが、理由はわかりません。
オリンピックではベンチメンバーで一試合も出場していないとのことです。
また、日本対ドイツ戦が終わったあと、ドイツの監督(シュナイダーの父)に対して、「私はドイツ人のクラマーさんから指導を受けました」と、自分のサッカー技術のルーツがドイツにあることを語っています。
クラマーさんというのは、日本サッカー界の父と言われるデットマール・クラマー氏のことで、1960年代前半、日本で指導者をしていました。

年齢推測・仮説

私はこのとき吉良監督が補欠だったのは、レギュラー選手より若かったからと推測しました。
おそらく、18歳くらいだったのではないかと。
となると、1950年生まれくらいとなります。
10歳から14歳くらいまで、クラマー氏の指導を受けたのではないでしょうか?
翼と日向が読売ランドで戦った小学6年時が何年なのか、今では不明ですが、「ROAD to 2002」編のとき、バルサに入った翼は20歳という記載があります。
2000年に20歳ということは、翼を初めとする黄金世代の生年は1980年。
となると、小学6年のときは1992年となります。
先述した東邦学園スカウトのセリフ「20年前に断った」というのが1992年の20年前なら1972年になります。
このときオリンピックがどこで開かれていたかというと、ドイツのミュンヘンです。
ここで22歳の吉良監督が活躍していたから、ドイツのチームからオファーが来たのではないか……と話がきれいにつながった気がしたのですが、実はミュンヘンオリンピックに日本代表は出場していません。
アジア予選で敗退しているのです。
ただ、アジア予選で活躍しているのを見たどこかの海外チームが注目した可能性はあります。
もっとも、漫画というフィクションの世界なので、ミュンヘンオリンピックに日本代表が出場している設定でもいいとは思いますが、それを言ってはおしまいですよね……

見上さんとの年齢問題

若林源三の師匠、見上辰夫氏は若林が小学6年時、34歳だという設定があります。
また、見上辰夫氏はメキシコオリンピックで日本代表のキーパーであったと、スピンオフ作品「キャプテン翼メモリーズ」で判明しています。
先述したとおり、1992年が若林たちの小学6年時だとすると、見上さんの生年は1958年となります。
となると、1968年のメキシコオリンピック時には10歳ということになります。
いくらなんでも、これはありえません。
となると、翼や若林の小学6年時がずれるのかという問題が起こるのですが、それをずらすと、2000年に翼が20歳という設定も崩れてしまいます。

そもそも、現在の翼世界は何年なのか?

2000年に20歳だった翼。
スペインリーグの1年目が終わって、オリンピックに参加しているので、普通に考えれば2000年後半あたりと考えるのが妥当です。
ちなみに作品中ではマドリッドオリンピックですが、現実世界では2000年にシドニーオリンピックが行われていました。
しかし、若林のセリフにPPAPが出てきたり、カルツがスマホを持っているなど、2000年というより2020年なのではないかとさえ思われます。
こうなるともうわけがわかりません。

結局、吉良監督は何歳なのか?

あくまで、私の推測では1950年生まれ設定を取ります。
なので、翼と日向が鎬を削った小学6年時を1992年として、当時42歳。
現在、オリンピック代表監督として指揮を執っているのを2000年として、現在50歳。
現在が2020年なら70歳になってしまいますが、さすがにそれは……
見上さんとの年齢関係はこの際、考えません(笑)
ただ、日本代表が韓国に敗れ、ワールドカップ出場を逃した際、キーパーは見上さんで、賀茂監督が咆哮し、若きストライカー片桐は呆然というシーンがあります。
このときフィールドに吉良監督がいる様子はありません。
やはり、見上さんとは少し年代が違うのではないですかね。
キーパーは経験が必要なポジションなので、ベテランが務めることはありますが……
このようなグダグダな結論となってしまいましたが、いかがでしょうか?

2021.06.07追加情報

キャプテン翼マガジン第7号にて、いくつか吉良監督について新情報がありました。
・沖縄出身
・代表時代はほとんど控え
・明和FCの創設者
・子どもしか指導したことがない。

沖縄出身について、気になった点がひとつ。
沖縄が戦後、日本に返還されたのは1972年のことです。
1968年のメキシコオリンピックに吉良監督は控えとはいえ、出場しているわけですが、そのあたりはどうなのでしょうか?
出身というだけで、早くから本土に移住していたのなら、問題ないのでしょうが……

上記について、貴重な証言をいただきました。

どうやら沖縄返還のタイミングとは矛盾はしないようです。
沖縄に吉良という苗字が元々ないのですね。

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