キャプテン翼メモリーズ4「最強明和FC伝説プロローグ」あらすじと感想

キャプテン翼ライジングサン

キャプテン翼マガジン第7号掲載のスピンオフ漫画は「最強明和FC伝説」でした。
まずはプロローグとして、吉良監督について触れられるようです。
以下、適度にツッコミを入れながら、あらすじを記します。
ネタバレありなので、まだ読んでいない方は後で読まれることをおすすめします。

オリンピック代表監督吉良耕三誕生秘話・あらすじ

スペイン戦を控えた日本代表。
宿舎では吉良監督が「残り2試合がワシにとっても指導者としての最後の闘いだ!!」と気合を入れています。

時間は少し戻り、舞台は沖縄へ。
「えーっ、なんでワシが!?」と驚きの声をあげているのは吉良氏でした。
片桐さんと賀茂氏が吉良邸を訪問し、オリンピック代表監督を打診していたのでした。
吉良氏の言い分では「ワールドユースを見事制した賀茂氏が続投するのが当然だろ」ということです。
実は片桐さんもそう思っていて、賀茂氏に続投要請していたようなのですが、賀茂氏が断っていたのでした。
賀茂氏いわく、「自分は少し運が良かっただけ」「選手が素晴らしかった」「日本が優勝した結果、私のサッカーは研究され、対策を練られる」ということで、このタイミングで監督を変えるべきだということです。
確かにワールドユース決勝では、賀茂氏の代表的戦略「ジャパニーズゾーンプレス」はあっさり破られていましたね。
まあ、ボールを取ったら、翼に回すというだけの戦略でしたが……
賀茂氏が断ったとき、片桐さんは「では、誰がふさわしいのか?」と問いかけたそうです。
すると、名前が出されたのが吉良氏だったとのこと。
「しかし、ワシは……」と少し動揺する吉良氏。
なぜかというと、吉良氏は今まで子供たちにしか指導したことがなかったからです。
なので、「世界に通用するようなそんな戦術など持ち合わせていないんだ」と力説します。
「でも……世界に通用する日本サッカーを作りたいという情熱は誰より持っているはずだ」
と賀茂氏は反論します。
「あなたは明和FCで日向、若島津、沢田タケシ、岬太郎を指導したこともある」
「翼、若林、松山とも対戦し、あなたはこの黄金世代のことを誰よりも熟知している」
「だからこそ、あなたが次期オリンピック代表監督にふさわしいと私は思ったんです」
畳み掛ける賀茂氏。
すると片桐さんが「責任は私が持ちます」と口を開きます。
「チームがうまく機能しないと感じた時は、任期の途中であっても、私がバッサリと吉良さんのクビを切らせてもらいます」
「そのときは私も責任を取り、強化部トップの職を辞する覚悟です」
冷静に言い放つ片桐さん。
いつの間にか強化部トップの座に就いていたのですね。
「オファーを引き受けてください」という片桐さんに対し、吉良氏は「一晩考えさせてくれ」と回答をのばしました。

布団に入り、考え込む吉良氏。
眠れない様子です。
現役時代唯一の勲章はメキシコオリンピックでの銅メダルだけだと思い出す吉良氏。
しかも、実際の自分は代表に選ばれはしたものの、ほとんどを控えとして過ごしていたと。
ただ、代表に選ばれたことにより、世界各国を回ることで、南米や欧州のサッカーに触れ、育成システムやプロリーグを見て、日本との大きな差を感じたとのこと。
メキシコオリンピック銅メダルといっても、プロの参加が許されていなかった時代のもの。
だが、いつかは自分たちの代では無理でも、次の世代なら……と吉良氏は当時考えていました。
世界に通用する選手を育てるには、子供のうちから鍛えなければと考えた吉良氏は明和FCを立ち上げます。
なんと、明和FCの創始者は吉良氏だったのですね。
私財を投じて、土地を借り、手作りでグラウンドを整備したそうです。
オリンピック銅メダルの宣伝効果もあり、当初から多くの子供が集まりました。
しかし、指導を初めた頃はまさに試行錯誤で、厳しくすれば、親からの苦情が相次ぎ、かといって甘やかせば、実力はまったく伸びない……
自問自答した吉良氏は、自分が作ったこのチームでどんなサッカーがしたいんだと考え抜き、「楽しいサッカーとは、点を取るサッカー、そして勝つサッカーだ」という結論にたどり着きます。
攻撃的で勝ちにこだわるサッカー、それが明和FCの基本理念となりました。
勝ち続けるには厳しい練習が必要。
吉良氏は竹刀を片手に持つようになり、ついてこれない選手は容赦なく切り捨てるようになりました。
親からの反発もあったが、吉良氏はもうブレませんでした。
やがて、「最強の明和FC」と呼べるチームができました。
トップに5年生の日向がいて、中盤には岬とタケシ、キーパーは若島津。
さらに厳しい練習に耐え抜いた6年生たちが周囲を固めていました。
このときのチームこそが一番強かったと思い出します。
日向、岬、タケシ、若島津がいて、なおかつ明和FCに立ち塞がった翼と若林もいるチーム……
「そんな連中を率いて、自分は世界を相手に闘えるのか……」
またしても自問自答する吉良氏。
「久々に血が騒いで眠れない」と起き上がります。
吉良氏は後継者が育ったことから明和FCを離れ、故郷である沖縄に戻っていました。
サッカー未開の地であった沖縄にサッカーを根付かせるのが最後の仕事で、あとは旨い酒でも飲みながら余生を過ごそうと考えていました。
そんな中のオファー……吉良氏の決断は?
翌朝、砂浜に片桐さんと賀茂氏を呼び出し、「オリンピック代表監督引き受けさせてもらいます」と正式に受諾するのでした。
オリンピック代表を率いる吉良監督の誕生でした。
「サッカー人生の最後に、もう一度ワシもトラになってみようと思います」とのこと。
吉良監督は決断の前に沖縄でタイガーショットの練習をしていた日向に対し、「トラじゃ、トラになるんじゃ!」と叫んでいたことを思い出していたのでした。
プロローグはこれで終わり。
次回、小学生時代の日向やタケシの知られざる姿が見られるようです。

私的感想

今回、いろいろな新事実が発覚しました。
特に明和FCの創始者が吉良監督だったのは意外でした。
私など、地域のスポーツ少年団かと思っていたくらいですから。
海外のチームからオファーがあったという吉良監督。
しかし、実際は控えだったことがほとんどだったということで、どこで注目されたのか言及はありませんでした。
海外遠征中にいいプレイを見せていたのですかね?
それと、「サッカー人生最後」「余生」という単語も気になりました。
吉良監督って、そこまで高齢なんでしょうか?
私の推測では、以下の記事のとおりなのですが。

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次回から明和FCについて描かれるようで楽しみではありますが、「最強明和FC」が日向5年生時のことなので、どうして5年生時で全国優勝した若林らと面識がなかったのか、そのあたりがどう合理的に説明されるのか気になるところではあります。
最強なのに、全国大会に出ることなく敗れたのでしょうか?
若島津がケガでいなかったから?
岬が転校したから?
タケシを育てたのは岬の後継者と考えたから?
そんな想像をしてしまいました。
そういえば、岬が日向のことを気安く「小次郎」と呼ぶ謎は解かれるのでしょうか?
吉良監督の故郷が沖縄という設定も過去にありましたっけ?
子供しか指導したことがないのに、代表を率いることができるライセンスを密かに持っていたのですね。
吉良監督については、まだまだ謎が多いです。
とりあえず、次回を楽しみに待ちましょう。

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